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北の富士 |
玉の海 |
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KITANOFUJI |
TAMANOUMI |
第52代横綱 |
北の富士 勝昭 |
北海道出身 九重部屋 |
185センチ 135キロ |
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美幌町生まれの美男横綱。
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今もNHKの解説に粋な着物姿で登場されて
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います。 |
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第51代横綱 |
玉の海 正洋 |
愛知県出身 片男波部屋 |
177センチ 134キロ |
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谷風、玉錦に次いで27歳の若さで |
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現役横綱での急逝は惜しまれました。 |
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平成22年4月制作 |
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輪島 |
琴櫻 |
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WAJIMA |
KOTOZAKURA |
第54代横綱 |
輪島 大士 |
石川県出身 花籠部屋 |
186センチ 132キロ |
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黄金の左からの下手投げは切れ味鋭く、
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独特の体つきに黄金の締め込みが目に焼きついて
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います。 |
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第53代横綱 |
琴櫻 傑将 |
鳥取県出身 佐渡ヶ嶽部屋 |
182センチ 150キロ |
「猛牛」のような一気に相手を土俵下に突き出す |
豪快な相撲とは違い優しい親方で多くの名力士を |
育てました。
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平成22年3月制作 |
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白鵬 |
朝青龍 |
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HAKUHO |
ASASHORYU |
第69代横綱 |
白鵬 翔 |
モンゴル/ウランバートル出身 宮城野部屋 |
192センチ 152キロ |
●白鵬の化粧まわし
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モンゴルの伝統柄にある鳳凰のデザインを化粧まわしにして
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みました。綱の下に鳳凰の顔が隠れています。 |
モンゴル民族の歴史ある図柄を相撲の装束に取り込んだら |
面白いと考えたからです。 |
朝青龍の青龍の化粧まわしと対になる想像上の化粧まわし |
です。 |
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第68代横綱 |
朝青龍 明徳 |
モンゴル/ウランバートル出身 高砂部屋 |
184センチ 154キロ |
●朝青龍の化粧まわし
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モンゴルの伝統的な儀式、チャムに使用された衣装模様の
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青い龍を化粧まわしに刺繍し、モンゴル魂を持ったまま引退 |
した横綱に特別に締めてもらいました。 |
こちらは龍の顔が綱の下にかくれています。
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この空想の化粧まわしを締めているのを見てみたかったです。
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平成22年2月制作 |
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梅ヶ谷(二代) |
常陸山 |
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UMEGATANI -II |
HITACHIYAMA |
第20代横綱 |
梅ヶ谷藤太郎(2代) |
富山県出身 雷部屋 |
168センチ 158キロ |
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明治11年(1878)富山の売薬と質屋の家に生まれる。 |
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明治36年6月、25歳で常陸山と同時昇進。 |
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この横綱昇進の最年少記録は昭和の照国に破られる |
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まで保持した。 |
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大砲、常陸山と3人の横綱も史上初のことだった。 |
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大正4年引退、年寄雷襲名。巡業中に49歳で急逝。 |
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常陸山との対戦は15回。常陸山7勝、梅ヶ谷3勝、 |
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引き分け5つだった。 |
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第19代横綱 |
常陸山谷右衛門 |
茨木県出身 出羽海部屋 |
174センチ 146キロ |
明治7年(1874)旧水戸藩、上級藩士の家に生まれる。 |
明治36年好敵手梅ヶ谷と同時に横綱推挙、 |
「梅・常陸」時代の空前の相撲ブームを築いた立役者。 |
明治40年力士初の洋行をした。 |
大正3年引退し出羽海を継ぎ翌年、 |
横綱梅ヶ谷、以下37名の力士を率いてアメリカ巡業に。 |
稀に見る見識と教養の持ち主で「御大」と称され |
明治の「角聖」と言われている。48歳で病没。 |
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平成22年1月制作 |
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